第6話 仕事で挫折。結婚妊娠後、メンタル休職。当時の私は「こじらせ女子」でした。

(2017年11月3日 更新)

前回よりだいぶ時間がたってしまった私の「海外移住を目指すための経緯」。この社会人(コンサル正社員)~休職に入るまでの時期は、私にとっては大きなターニングポイントでした。そして、一番心身がしんどかった時期でもあります。この時期を振り返るのはけっこうエネルギー使うので、先延ばしにしてました。長くなるかもしれませんが、こういうつらい時期って誰にもあると思うので、「大丈夫!あなただけじゃないよ!」という励ましの意味と、「今考えれば、こうしときゃよかった!これから似たようなことがあったらそうしよう!」という今後につながりそうなことも併せて書いておきます。

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初めて主担当をしたプロジェクトでミス。毎晩泣きながら仕事する。

社会人3年目に入った頃、一つのプロジェクトを主担当させてもらうことになりました。正確なことを言うと、元の主担当の先輩がメンタルで休職になったので、スライド式にその下で担当していた私が主担当になった、んですが。雲行きが怪しい感じだなと思ったあなた!正解です(笑)経験も知識もセンスもない私がいきなり主担当になった上、当時の私がいた部署は人手不足で上司が資料のチェックをほとんど行わない状態でした。そして、納品2ヶ月前くらいに数字のミスが発覚。その数字を元に関係者の合意を取り付け後だったので、うち会社の偉い人と一緒にクライアントに謝りに行っては、対応策を深夜10時まで練る日々。1ヶ月くらい続きました。一番しんどい時は、帰りはいつも泣きながら帰っていました。一番つらかったのが、部長が私のミスだと暗に責めてくる(と感じた)ことと私がプレゼンで勝ち取った別の仕事を取り上げられてしまったこと。自分のミスはミスなので、自分を責めながら、周りも責めながら、それでもどうやって収束させようかそればかり考えている日々が続きました。

今考えれば、私のいた部から優秀な上司先輩が引き抜かれ、人材不足になってて、残された人に過度の負担がかかり始めていた時期だったので、自分のミスは認めるとしても、ミス発覚後の外部環境が最悪だったなと思います。なのに、それに気付かない私は、変に気負って担当者として責任をとる以上のことを抱えてしまっていたと思います。あの時、他の部の上司先輩に相談していたら、話は変わっていたと思います。だから普段からの外部との付き合いは大切!!!

プロジェクト終了後「燃え尽き症候群」に。

で、なんとかそのプロジェクトは終了。そしたら、今度はまったく仕事が手につかなくなってしまいました。いわゆる「燃え尽き症候群」。ただぼーっとパソコンに向かって、メールチェック。仕事はたまる一方。「どうしたら仕事が終わるのか」必至に考えるが、頭が空回りして、建設的論理的に考えられなくなっていました。

今考えれば、完全にメンタルやら始めてました。でも当時は気付いてなくて、というか認めたくなくて、「自分の能力がないせいだ、もっと努力しないと、残業しても終わらせないと」そんなことばかり考えて、かといって有効な解決策を見出せず、どんどん精神をすりきらしていきました。朝ふとんから出られなくてそのまま休む日もちょくちょく出てきていました。

そんな中、結婚。直後、妊娠発覚。

おい、メンタルやられてたんやないんかい!!とツッコミ入れられそうですが、体の健康とプライベートには問題がなかったんですね(笑)それもこれも今の主人や家族、いつも通り飲んでくれる旧友たちのおかげです。もし彼らががいなかったらどうなってたことか、、考えるだけで恐ろしいです。感謝しかありません。ほんとうに。

そして、妊娠したことでもう1人私を支えてくれる人物が増えました。彼女は、私がなんか良くない方向へ進もうとしていたところを軌道修正かけてくれました。

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「赤ちゃんのために」と、自分を納得させて3ヶ月休職を選択。

今まで、「自分の能力がないせいだ、もっと努力しないと、残業しても終わらせないと」考え続けていましたが、妊娠したことで、自分の体(=赤ちゃん)を優先するという考えが生まれました。それまでは、疲れて動けなくなったから仕方なく休む、休んだ自分を責めるという考え方でしたが、「赤ちゃんのために」という理由で、休むことを納得できるようになり、メンタル病の診断書をもらいにいって3ヶ月休職することにしました。

今考えれば、さっさと休めばよかったあるいは、辞めればよかった!と思います。今後の経済的なこととキャリアの後とか、何より「メンタルやられて辞めるとか弱いって思われたくない」とか「仕事できないやつって思われたくない」ていう変なプライドがあってずるずると続けてしまってたけど、そんなのどうでもよかった。早く休んで「次どうしようか」ってまともに考えられるまで回復すればよかったと思います。赤ちゃんの力を借りなくては休めなかった私は、いわゆる「こじらせ女子」だったんだなと。

実際に休職してみると、「ああ私疲れてたんだな」と実感することができました。ただこたつでじっと動かずテレビをみていました、平日毎日。廃人のように。ときどきつわりに悩まされながら。

つづく。

~「海外移住を目指すまでの経緯」過去の記事~

第1話 田舎生活で「ここじゃないどこか」を強く希望し始めた。~中学時代

第2話 田舎から県庁所在地まで出てみた。でも、まだ「ここじゃない」感継続中。 高校時代

第3話「ここじゃないどこか」を目指した高校時代 その2

第4話 上京、時々、海外旅行で「ここじゃない」感が落ち着いた 大学時代

第5話 新卒でちょっと海外行けそうな会社に入社!でも現実は甘くなかった。

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