駐在妻になるまで」カテゴリーアーカイブ

日本で働き続けずに、駐在妻になってよかった!と思う2つの理由。

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今、私は駐在妻で、赴任から約2年半たちました。

駐在先での生活や育児にもだいぶ慣れてきたので、

そろそろ他のこと(主に外での仕事)したいぞー!という気持ちが大きくなっています。

でも、日本での仕事は辞めてしまって、すっかり海外でぐうたら専業主婦だし、

帰国後に使えそうなスキル・資格も持っていない。。正直、日本に帰ってちびっ子抱えた私ができる仕事があるのか不安になります。

だから、たまーに、「夫が海外駐在に決まった時、仕事を辞めなければ、、、」という考えがちらついたりもするんですね。

新卒正社員で入ったから、続けてたらそれなりに稼げただろうし、

辞めずに働き続けている同期をみると、もうすこしふんばってたら、中堅社員になって仕事もやりやすくなってたかな、、とかね。

でも!でもね!!そこまで考えた後、

やっぱり日本で働き続けなくて、よかったわ!辞めて海外生活して正解!駐在妻になってよかった!

ていう結論になるんです(笑)

今回は、私がなぜ日本に働き続けなくてよかったと思っているのか、その理由を書いてみたいと思います。

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技術系コンサルタントだった私が仕事を辞めて海外駐在妻になった4つの理由。

こんにちは、nodayaです。

今月で、東欧の国に来て2年がたちます。

これを記念?して、技術系コンサルタント企業に勤めていた私が、仕事を辞めて駐在妻になることを決めた理由について書きたいと思います。

「夫(妻)の海外駐在が決まった!どうしよう!私も(仕事辞めて)帯同する?それとも単身赴任してもらう??」

と悩む人、特に、私のようなアラサー世代は増えているんじゃないでしょうか。

私はずいぶん悩んで悩んで、悩みまくって、結果、仕事を辞めて駐在妻を選びました。

駐在妻を選んだ理由は大きく4つあります。

まずはポジティブな理由が2つ。

「海外生活してみたい」「やっぱり家族は一緒がいい」

次に、ネガティブな理由が2つ。

「こんな職場にいたくない」「今の会社に私のしたい仕事はない」

それぞれについて、詳しく書いてみたいと思います。

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第7話 職場復帰するも、すぐ産休。仕事辞めるか結論が出ないまま、海外逃亡!

こんにちは。本日東欧の国は、すっかり冬模様です。冬がー冬がー来てしまう!!ああもう春が恋しい笑

さて、前回の続き。メンタル休職をもらって、家で休息していた私。つわりも落ち着き、メンタルも少し回復して、もう一度前向きに仕事に取り組んでみたいと思うようになりました。で、休職3ヶ月の後、職場に復帰することになりました。産休に入るまで3ヶ月限定の復帰です。この3ヶ月で、仕事続けるか否か自分で判断したかったんです。でも、現実はそんな簡単ではなかった。。。 続きを読む

第6話 仕事で挫折。結婚妊娠後、メンタル休職。当時の私は「こじらせ女子」でした。

(2017年11月3日 更新)

前回よりだいぶ時間がたってしまった私の「海外移住を目指すための経緯」。この社会人(コンサル正社員)~休職に入るまでの時期は、私にとっては大きなターニングポイントでした。そして、一番心身がしんどかった時期でもあります。この時期を振り返るのはけっこうエネルギー使うので、先延ばしにしてました。長くなるかもしれませんが、こういうつらい時期って誰にもあると思うので、「大丈夫!あなただけじゃないよ!」という励ましの意味と、「今考えれば、こうしときゃよかった!これから似たようなことがあったらそうしよう!」という今後につながりそうなことも併せて書いておきます。 続きを読む

第5話 新卒でちょっと海外行けそうな会社に入社!でも現実は甘くなかった。

大学(正確には大学院)を卒業した私は、
新卒で某民間企業に入社します。

その企業は(名前は売れてないけど)業界では3本の指に入るくらいの大手。
だが一方で、そしてその業界は過酷労働では有名。深夜・休日残業は当たり前、
しかもそれが「努力の証」みたいな雰囲気がありました。

それは就活の時点で分かっていたのだけど、それでも入社を決めたのは、
もちろん業務内容に興味があったのはもちろんですが、
「自分がどこまでできるか試してみたい」という気持ちが強くあったからです。

今なら言えるけれど、残業できる=自分ができる、は勘違いも甚だしかったなーと思います。
確かに、残業するほど作業をこなしていて、それはそれでスキルの一つかもしれないけれでど、
本筋ではないです。

本筋は、「自分は何がしたいか、何ができるようになるか」です。
もちろん残業したい、残業できるようになりたいとは私は思っていないのであって。

大分話がそれたような感じですが、実は関係があって、
会社員時代にすっかり見失いかけていた、
「自分は何がしたいか、何ができるようになるか」という問題とその答えについて、
海外生活を始めて、やっと真剣に向き合うようになれたと感じています。

話を戻して、そんな企業に勤め始めた私は、
最初の2年間くらいはガツガツと働きつつ、自由なお金も手に入れたので、
夜遅くまで飲んだり、合コンしたり、疲れた週末はマッサージに行ったり、
いわゆる「社会人生活」を謳歌していました。

そうそう、海外業務もなくはなかったので、
いづれは海外業務に携わって、海外出張したいなーなんて漠然と思っていたりしました。

しかし!そんな現実は甘くありません。
大学時代、ろくに研究もせず、突貫工事で卒業していた私は、
ろくに仕事ができず、飽きやすい性格もあり、仕事でスキルや専門性を磨くなんてこともせず、
だんだん「おちこぼれ」ていきます。
それでも、「仕事できないやつ」って思われたくなくて、何とか取り繕おうと必死でした。

そしてついに、「最大のミス」を犯し、それをきっかけに崖を転がるように仕事へのやる気を失っていくのです。

つづく。

第4話 上京、時々、海外旅行で「ここじゃない」感が落ち着いた 大学時代

東京にある大学に通い始めた私。
大学の寮に入りました。
私の入った大学は学部が2つしかない大学だったので、
東京に出てきたのになんとなく、親近感がある人たちが多くて、
高校よりも楽しく過ごすことができました。

もちろん、受験勉強から開放されて、
(勉強そっちのけで)バイトに部活に明け暮れたのも大きい。

そういう自由で、かつ、周りに恵まれた環境で
私がずっと感じていた「ここじゃないどこかへ」感は薄れていきました。

でもこの頃から、海外旅行に行くようになりました。
自由な時間とお金(バイト代くらいなもんですが)が出来たのもありますが、
この海外旅行は純粋に「みたことないもの見たい」というのが動機だった気がします。

もちろん、国内にも「みたことないもの」なんていくらでもあるし、
実際部活の先輩が「海外に行く前に日本でやらなきゃならないことがたくさんある」って
主張してたのも、確かにな、って思っていたけれど、

私は「じゃあ海外のほうが、何でもみたことないことだらけだろうから、
手っ取り早いじゃん?」って思っていました。

今考えても、大学時代、お金はちょっとしかないけど、自由な時間と体力があるうちに、
海外旅行しといて本当に良かったと思います。

大学時代に短い時間ではあったけど、海外を体験して、
いいところも悪いところも「みた」ことは大きな糧となっています。

これがなかったら、結婚して子どもと一緒に海外生活なんて言われても、
未知すぎて不安だけが先に立って承諾できなかったかもしれないなー。

だから、たくさんのおじさんおばさんが言ってて、うざいなーて思ってるかもだけど、
20代の若人よ!今のうちに海外はいっておいたほうがいいよ!

なんて、娘のお昼寝中にこのブログを書きながら思ったりします。

ずいぶん脱線してしまいましたが、私は大学時代に行った国は、
ケニア
ポーランド
フィリピン
タイ
マレーシア
オーストラリア
インドネシア
インド
スリランカ
香港

の計10カ国・地域になりました。
1人バックパック旅行から友達との卒業旅行、
トラブルももちろん沢山あったけど、
どれも今となっては楽しい思い出です。

大学(正確には大学院)を卒業して就職した私は、
今度は仕事で海外行く!ことを目論見始めます。

第3話「ここじゃないどこか」を目指した高校時代 その2

第2話の高校時代の続き。
田舎のまちから県庁所在地にある高校に通うことになったら、
まだまだ世の中広くて、知らないことだらけだと感じました。

例えば、学力。
中学校時代はトップクラスの成績を誇った私も、
高校に入ったら中の中か下に転落。

塾に入って伸びた経験から、そのうち上がるっしょっと思っていたら
一向に伸びず。。

例えば、家柄。

私は田舎から出てきた中流階級の家の子でしたが、
県内の進学校だった私の高校には、
医者の娘やよくわかんないけどたぶん高給取り?地元の名士?の娘がごろごろ。
(ちなみに、女子高です)

いわゆるお嬢さんたちがたくさんいました。
田舎娘にはちょっと違和感があり、どうやって仲良くしていいか分かりませんでした。

あんまり親友と呼べるような友達もできず、
やっぱり「ここじゃないどこか」に行きたくて、
その方法は相変わらず勉強していい大学に入ることだと思って、
1浪して、東京の大学合格しました。(東大じゃないよw)

やった、ついに上京だ!!
1人暮らしだ!!
新しい生活に心が躍りました。

思えば、高校時代までの私の原動力は
つねに「ここじゃないどこか」に行く
ことだったんだなー。思春期ならでは?本能?それとも個性?

前ほど強くはないけれど、その気もちは今でもあるかな。

第2話 田舎から県庁所在地まで出てみた。でも、まだ「ここじゃない」感継続中。 高校時代

こんにちは。
現在、家族で東欧の国に住んで1年半になります。
人生、何が起こるかわからないよね。
まさか、私が東欧の国で生活することになろうとは!
そして、海外移住を本気で目指そうなどとは!

ん?でも待てよと。思うわけです。
改めて今までの人生を振り返ってみると伏線がないわけでもなかったなと。

そこで今回は今までの人生を振り返りながら、
私が海外移住を目指すまでにいたった経緯を書いていきたいと思います。

第2話 田舎から県庁所在地まで出てみた。でも、まだ「ここじゃない」感継続中。 高校時代

第1話で、中学生の私が「ここじゃないどこか」へ行くためにとった手段が
「勉強をして、同チューのやつらが来ない高校へ進学する」
でした。
もともと通っている中学校のなかでは、成績はトップクラス。
まあ、中学生が取れる手段としては現実的ですよね。

実は、成績に関しては井の中の蛙だったことがすぐ判明するんですが。

進学校を目指す塾に入るために受けたテストで、
希望校の入学判定が最低ランクをつけましたからね!!
以下、判定テストの結果を見ながらこんな会話があったそうな。

母:「先生、この塾に入ったら、娘は○○高校に入れるようになりますか?」(←母もずいぶん率直な質問しとるなww)
塾の先生:「うーん、正直分かりません」(←先生、そこは商売上「入れます!」と答えるところじゃないww)

当時の私はこんな会話が交わされているとは露知らず、
「わー中学校なら上位なのに、世の中って広いのね!こりゃもうちょっと勉強しないとw」
ぐらいしか考えておらず、楽観的でした。
たぶん、未知の世界への不安よりも、期待のほうが強かったんだろうな。
まあ結果、入塾を拒否されなかったおかげで、私は希望の高校に入ることができました。
ちなみに、その年、私の中学校ではその高校に入学したのは私だけで、
高校は県庁所在地にあったので、
ちょい「ここじゃないどこかへ」は達成できたわけです。

ひゃっほー人生ばら色!!

、、、、というわけには人生いきません。

また別の違和感を感じ、私の「ここじゃないどこかへ」感は継続するわけです。

長くなったので、高校時代の話は第3話で。

第1話 田舎生活で「ここじゃないどこか」を強く希望し始めた。~中学時代

こんにちは。
現在、家族で東欧の国に住んで1年半になります。
人生、何が起こるかわからないよね。
まさか、私が東欧の国で生活することになろうとは!
そして、海外移住を本気で目指そうなどとは!

ん?でも待てよと。思うわけです。
改めて今までの人生を振り返ってみると伏線がないわけでもなかったなと。

そこで今回は今までの人生を振り返りながら、
私が海外移住を目指すまでにいたった経緯を書いていきたいと思います。

第1話 田舎生活で「ここじゃないどこか」を強く希望し始めた。~中学時代

私は、日本人の両親のもとに生まれました。
両親の両親(おじいちゃんおばあちゃん)も日本人です。
私の知る限り、ご先祖様に外国人はいません。笑

両親は、いわゆる高度経済成長の波に乗って、地方から東京に上京してきた時、出会って結婚しました。
父親は東京の大手企業のグループ会社に入社、その頃はバブル前のイケイケ時代でしたから、
私は覚えていないけど、港区の社宅があって、そこで2才まで生活したとか。
母曰く、「いろいろな大使館が近くにあって、そこが散歩コースだった」って。
今聞くと、ちょいセレブっぽいね笑

で、妹も生まれて、社宅が手狭になったから、そこを出て、マンションを転々とし、
私が小1の頃、北関東の北のほうの田舎に一軒家を買います。

なんでそんな縁もゆかりもない田舎に?!と思って最近きいたところ、
「父ちゃんの働く現場がその家の近くだったとき、
偶然、ローンで買えそうな値段の新築一軒家がみつかったから」
だそうな。

つまり、ノリですか笑!!

あと、会社への新幹線通勤も認められてたからね、
新幹線で1時間ちょいで会社に通えるってのも大きな決め手だったのでしょう。

これが結構、その後の人生の原動力となった気がします。
一つは、いい意味で。一つは、悪い意味で。

いい意味のほうは、自然がたくさんのなかで小学生時代はのびのび生活できたこと。

学校から家まで歩きで1時間かかったので、足腰は鍛えられたし、
帰り道田んぼで遊んだり、通学路に面した家のワンコと遊んだり、
小川でカニ捕まえたり、雑草むしってウサギにあげたり、コエダメでミミズ集めて鶏にあげたり、
ザ田舎の生活を堪能しました。
この体験で自然とか動物に興味を持ってそれについて勉強するようになったから、
それは良かったと思います。

そして悪い意味のほうは、中学生になってから芽生えた思い。
「こんな田舎、さっさと出て行きたい!!!」

私の通った中学校が荒れててねー、
荒れる不良に属さなかった私は、思春期もあいまって
とてもいずらい気持ちでいました。

不良どもが幅きかしてくるし、
先生達はその対応に追われて、その他(=私含む)は相手にされない。
それが、寂しいかったといのもあります。てかそれが大きかったのかもね。

その他、人間関係も、いわゆる田舎にありがちな
「出る杭は打たれる」というのがスタンダードで。

私たち家族は、この田舎に引っ越してきて数年の
「新住民」でしたから、それだけで、ちょっと違う扱い。
子ども心に「なんかなーヘンだなー」と思っていました。

母も、PTAや部活動での親の行事では
いやな思いも結構したようです。

そういうのも思いもあったので、
「ここじゃないどこか」に出て行きたいという気持ちは
日に日に大きくなっていきました。

といっても、まさか海外へなんてことはその当時1ミリも考えてなかったけどね。
けど、「ここじゃないどこかへ」という強い思いが
今につながっているんだろなー。(遠い目)